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大阪城を北端に、南は住吉大社界隈まで、南北約12Kmにわたる上町台地は、大阪市内で唯一の高台です。
その上町台地の中でも、この玉造は、古くは『日本書紀』に記されていいます。
4世紀から5世紀ごろ、大和朝廷に仕える職人集団「玉作部(たまつくりべ)」が、勾玉(まがたま)を作っていました。
また、玉造は
豊臣家にゆかりの深い土地だったと伝えられています。
大阪城の守護神としてあつい崇敬を受けていた玉造稲荷神社、神社の西側には、豊臣秀吉に長年仕えた
キリシタン大名の細川忠興の屋敷と越中井。神社の南側には千利休の屋敷と利休井があったと記録されています。 |
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緑がうっそうと茂った玉造稲荷神社(大阪市中央区)の創建は聖徳太子とかかわりがあると伝わっています。
社の入口には、近松門左衛門が「曾根崎心中」の中で「あさつきに貫く汗の玉造稲荷の宮に迷ふとの闇は理、御仏も衆生のための親なれば」とこの稲荷のことを書いたという石碑が建てられている。
奥まった先に鳥居が見え、階段を登ると広い境内がある。伊勢参宮本街道の起点ともなっていて、由緒ある神社であることが分かる。
また、玉造稲荷神社の境内には、勾玉の資料を展示する「難波・玉造資料館」があります。
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大阪は古くから政治文化の中心地として、わが国の歴史上大きな役割を果たしてきました。
旧石器席代や縄文・弥生時代の遺跡、古代の難波宮跡をはじめ大阪城跡など、貴重な文化遺産が多くみられます。
「歴史の散歩道」はこれらの史跡古くからの道筋などを結ぶモデルコースです。
道には日本庭園の飛び石を模した「つたい石」を敷き、主な交差点には歴史の散歩道のシンボルマークが入った
「サイン柱」を設置し、 わかりやすく、楽しく史跡散歩ができるようになっています。
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大阪カテドラル聖マリア大聖堂玉造教会であり、旧細川邸に隣接している。
エキゾチックな雰囲気の白亜の外観。 入口左右に細川ガラシャと高山右近の像がたつ教会の中に入ると、シンプルな内装の中に、祭壇正面に聖母マリアの壁画があり、窓からは明るい光がステンドガラス越しに入ってきます。
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聖マリア大聖堂の北、越中公園の向かい側に、細川越中守忠興の夫人であり、熱心なキリシタンであったガラシャ夫人にちなむ越中井がある。
1600年、夫の忠興が徳川家康に従って関東に出陣した留守中、大坂方の石田三成が人質としてガラシャ夫人を大坂城内に拉致しようとしたため、抵抗して夫人は家臣に自分の首を打たせて果てた。
越中井はその屋敷の台所にあったといわれています。
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広大な緑の空き地が広がる難波宮跡は史跡公園として整備されています。
大化の改新に伴う難波遷都以来、8世紀末までの約150年間、断続的ながら日本の首都として、この都でさまざまな歴史が刻まれてきた。
昭和29年から発掘調査が続けられている。
内裏と朝堂院部分が国の史跡に指定。聖武朝大極殿の基壇が復元されています。 |
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平成9年に大規模な改修工事が完成、白壁と金箔で真新しく生まれ変わった3代目・大阪城天守閣。 日没後にはライトアップもされます。
また大手門、千貫櫓、火硝蔵など13棟の重要文化財があり、遠い日の面影を映しています。
天守閣を中心とした付近の緑地一体が大阪城公園です。大阪市最大の緑地は野鳥の憩いの場所でもあり、都会の中のオアシスになっています。
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船場中学校と旧東中学校とが統合して昭和63年4月に発足。
平成元年6月26日に開校式を行い、その日を創立記念日と定めている。
新設された新しい学校の気風と40余年の歴史と伝統の中で育った校風を、それぞれ受け継いだ学校である。 |
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